才能の無駄遣いと道標の向こう

「組織票を合法化してしまうランキングシステムとニコニコ動画にとっての流行」をテーマに、約9000字もの論文もどきを読んでいただきありがとうございます。

単語が入れ替わったり、文脈に違和感などが見受けられる箇所がありますが、肝心な部分だけでも理解していただければと思います。

長ければ良いわけではないのは承知の上ですが、短い文章で伝えられるほど説得力が出せるような立場でもない。

お詫びとして先日の日記を要約しておきましょう。


"昨今のニコニコ動画ユーザーのほとんどは、自分が分かる範囲でしか盛り上がる事ができない。それゆえ、浅はかなレスポンス(本能的な過剰再生およびコメント)が大半を占める結果となってしまい、評価されるべき才能に大きな偏りが生じ、平等であるはずの機会が失われて一部の報われるべき才能が報われていない。本質を飾りにして他の要素が化学反応を起こしている現状を打開するためには、それぞれのジャンルに対して知識を身につけるのではなく、すべてのユーザーが同じ姿勢で動画を視聴し、評価することである。"


この文章に納得がいかない方は是非、先日の日記に目を通してくださいませ。

どうしても読む手間を省きたい人は「で、結局のところ〜」あたりからでも構いません。

意見・感想・指摘・批判・異議申し立ては随時受け付けております。





才能といえば、ニコニコ動画では"才能の無駄遣い"という単語がちらほら見受けられます。

「才能があるのにどうしてそのような使い方をするのだろう」という、現実の才能のあり方を一蹴できるよくできた皮肉です。

"才能の無駄遣い"とはいうが、そもそも才能が役に立つ機会なんてものは探さない限り見つかるものではありません。

ましてや、有効利用をしたところで評価されるのは才能に利益的要素がある場合のみで、そのような判断を下せる人にも限りがあります。

大抵の人は評価する立場でなかったり、評価する機会に恵まれなかったり、評価する気がなかったりします。

そして、誰もが何かしらを評価したいがために、"自分が分かる範囲"で評価を行い、好きなものだけ盛り上げます。


好きなものを盛り上げることは悪いことではないですが、ランキングシステムの導入によってそれが視覚化されている現状はそれを歓迎しない場合が多々あります。

知らない人に紹介するという役割と考えれば一見問題がなさそうですが、興味を持たない人からすれば少々億劫なシステムなのです。

これはランキングシステムがただの流行案内掲示板であることの証明でもあります。

今後に役立てる指標ではなく、流行を追うためにその瞬間だけ参照する道標。

道標はとても便利だが、大勢に評価を保証されたものをあえて評価することに何の意味があるのだろう?

評価されるべきものを評価したいから?話題についていきたいから?自分が何も評価しない浅はかな人間だと思われたくないから?

その程度の眼力で流行にばかり乗るから浅はかだと言っているのです。


流行の中にはたしかに評価されたものがあるかもしれませんが、本質以外の部分で盛り上がっている場合がほとんどで、本質そのものは何かと隠れがちです。

楽しいのが良い=世間の評価だとすれば、そこに評価されるべき本質はありません。

仮に今時のランキングから本質を見出すようにするためには、すべてのユーザーが一丸になって評価する眼力を身につけなければなりません。

しかし、それをいざユーザー全員に求めると、人生の息抜きとして、娯楽として嗜む程度の人たちからすれば、あまりにも野暮で邪魔なだけです。


ただ、昨今のニコニコ動画はジャンルごとに偏りが大きすぎるのも事実。

同じ話題で盛り上がることができるのも、同じジャンルごとに理解がある人同士でなければならないという現状を考えれば、多少別のジャンルをかじったところで何の問題もありません。

むしろ1つのジャンルに依存するよりも話題の幅がぐんと広がります。

その話題が盛り上がる保証はありませんが、少なくとも他の人よりもニコニコ動画を知っているのは間違いありません。

また、誰が得するのか?という議題も見受けられますが、そもそも"得する"という概念がどのように定義されているかによって答えが異なりますし、それが動画から得られる情報で"得した気分"になるかならないかだとすれば、それは非常に幼稚な考えです。

得する・しないなどと判断している暇があるのであれば、その動画を見て今後の何かに活かした方が得られるものがあると私は考えます。

今後に活かすといっても、MAD動画を作るなどといった大層な活かし方をする必要はありません。

それこそ、ニコニコ動画を見ている人との会話で話題にするだけでいいのです。

話題を盛り上げられるかどうかはあなた次第ですが、1つのジャンルにいつまでもいるより健全だと思います。



次回は"好き"と"それ以外"について言及してみる予定です。