• 自分にとってのアニメ

ここ数年アニメは何を見てたっけなと思いGIGAZINEの記事を頼りに洗い出してみる。
意識して見だしたのはインターネット配信が普及してきた頃なので一昨年の春をはじめに。


(表記方法)作品名:視聴時期など(無い場合はだいたい地上波放送及び録画)


・ここから


■2009年:小説マイブームがきてた頃の偏った視聴傾向が特徴
けいおん!
リストランテ・パラディーゾ
GA 芸術科アートデザインクラス:レンタル
よくわかる現代魔法:ネット配信(たしかGyaO
サマーウォーズ:映画館
ひだまりスケッチ×365 特別編:レンタル(過去作品もあわせて補完)

・途中まで観た
宙のまにまに:レンタル、そろそろ続き借りたい
化物語:リアルタイムを意識しすぎて観た記憶が曖昧
とある科学の超電磁砲バンダイチャンネル(本気で1クールだと思ってた)

・挫折
生徒会の一存:ネット配信(たしかGyaO

・そのうち観たい
マリー&ガリー
かなめも
戦う司書 The Book of Bantorra
空中ブランコ


■2010冬
バカとテストと召喚獣:再放送
ひだまりスケッチ×☆☆☆:レンタル
涼宮ハルヒの消失:映画館

・そのうち観たい
おまもりひまり
はなまる幼稚園

・挫折
デュラララ!!:第1話で満足
おおかみかくし:どのへん観たかもあまり覚えてない
刀語:第1話で満足


■2010春:人生レベルで色々考えてた時期
WORKING!!:再放送
TRIGUN Badlands Rumble:映画館

・そのうち観たい
B型H系
Angel Beats!
ジュエルペット てぃんくる☆
荒川アンダーザブリッジ
RAINBOW 二舎六房の七人
四畳半神話大系


■2010夏:当時はみつどもえ一直線だった
みつどもえ

・挫折
ストライクウィッチーズ2ニコニコ動画、たまに観て和んでいた程度

・そのうち観たい
生徒会役員共
世紀末オカルト学院
祝福のカンパネラ


■2010秋:この頃からニコ動での視聴傾向が強くなる
パンティ&ストッキングwithガーターベルト:ニコ動
バクマン。
STAR DRIVER 輝きのタクト
侵略!イカ娘:ニコ動
探偵オペラ ミルキィホームズ:ニコ動
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編

・そのうち観たい
えむえむっ!
それでも町は廻っている
俺の妹がこんなに可愛いわけがない


■2011冬:アニメ視聴本格化
Rio -Rainbow Gate!-:ニコ動、再放送
魔法少女まどか★マギカ:ニコ動
カードファイト!! ヴァンガード:ニコ動
これはゾンビですか?:ニコ動
みつどもえ 増量中!:ニコ動
お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!:ニコ動
放課後のプレアデスYouTube

・そのうち観たい
レベルE
GOSICK
フラクタル
夢喰いメリー


■2011春:半分ぐらい内容がひどかった記憶がある(褒め言葉)
プリティーリズム オーロラドリーム:ニコ動
日常:ニコ動
花咲くいろは:ニコ動
ファイアボール チャーミング
戦国乙女〜桃色パラドックス〜:ニコ動
STEINS;GATE:ニコ動
30歳の保健体育:ニコ動
変ゼミ:ニコ動
Dororonえん魔くん メ〜ラめら:ニコ動
よんでますよ、アザゼルさん。:ニコ動
そふてにっ:ニコ動
アスタロッテのおもちゃ!:ニコ動
デッドマン・ワンダーランド:ニコ動
へうげもの

・部分的
DOG DAYS:BGVに最適
TIGER&BUNNY:録画に失敗しまくって後半はとりあえず最後の2話だけ観た

・挫折
ダンボール戦機:ニコ動、第1話で満足した

・そのうち観たい
逆境無頼カイジ 破戒録篇
Aチャンネル
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない:録画失敗の原因1
電波女と青春男
C:録画失敗の原因2


■2011夏:多方面の未開拓ジャンルに踏み込めた愉快な時期だった
ロウきゅーぶ!:ニコ動
うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%:ニコ動
異国迷路のクロワーゼ:ニコ動
快盗天使ツインエンジェル〜キュンキュン☆ときめきパラダイス!!〜:ニコ動
ゆるゆり:ニコ動
森田さんは無口:ニコ動
にゃんぱいあ The Animation:GyaO
THE IDOLM@STER:ニコ動
BLOOD-C:ニコ動
輪るピングドラム:たまにニコ動
猫神やおよろず
R-15:ニコ動
探偵オペラ ミルキィホームズ 特別編:ニコ動

・とばしながら観た
バカとテストと召喚獣にっ!:ニコ動

・挫折
神様のメモ帳:ニコ動、気がついたら見逃していた
いつか天魔の黒ウサギ:ニコ動、気がついたらry

・そのうち観たい
うさぎドロップ
NO.6
まよチキ!
ダンタリアンの書架


■2011秋:なう
WORKING'!!:ニコ動
侵略!?イカ娘:ニコ動
バクマン。2
C3-シーキューブ-:ニコ動
Fate/Zero:ニコ動
君と僕。:ニコ動
ちはやふるGyaO
ましろ色シンフォニー-The color of lovers-:ニコ動
persona4 the ANIMATION:ニコ動
ベン・トー:ニコ動
機動戦士ガンダムAGEバンダイチャンネル
未来日記:ニコ動
ひだまりスケッチ×SP
gdgd妖精s:ニコ動

・挫折
真剣で私に恋しなさい!!:ニコ動、第1話で大満足

・とばしながら観てる
僕は友達が少ない

・そのうち観たい
境界線上のホライゾン
ファイ・ブレイン 神のパズル
たまゆら〜hitotose〜
ラストエグザイル-銀翼のファム-
UN-GO
ギルティクラウン


・ここまで


強迫概念で観てるのではないかと思う時も無くはないけど観たいものを観てたらこうなったというのが実情です。どこに住んでいようがインターネット環境さえあればスマートフォンでもアニメが観られる時代、よほど放送局が限られない限りは(しかしそれを抜きにしても)十分アニメを楽しむ機会は増えてますね。

自分にとってのアニメというよりは、ただ単に面白いアニメが観たいだけかもしれない。
アニメ鑑賞が趣味と言い張れるような時代が来れば少しは楽になりそうです。そんな時代来てもほんの少しだろうけど。

シンカー

ガチでやるという前提でゆるくやってしまうのと
ゆるくやるという前提でガチでやってしまうのとでは
それをやる前と後で構えが変わるのでやられる側の反応もそれに合わせて変化する。

ガチな姿勢を見せられてガチで構えていたらゆるいのが飛んでくるのと
ゆるい姿勢を見せられてゆるく構えていたらガチなのが飛んで来るのとでは
いずれも受け手側にギャップが生じるので各々の意味で反動が大きい。

大事なことだと思ったので2回言いましたが、そういうところを"ゆるゆり"はいい感じに突いてきてるんじゃないかなあなんて、既出な意見のような気がするけど。
ついでに言えばガチに見せかけたゆるい作品なんてのもあるわけで、そのあたりでいい感じの作品とは4コマ周辺が多くなったりするのだろうか。
私たちはその瞬間に変化を求めているのか。

喩え話

比喩表現に正解は無いが、正解相応なものはある。
例えば猛暑の中で言う、
「今日は地獄のような暑さだ。」
みたいな。

その人にとって"地獄のような暑さ"は現実であり、もし「 」の中が穴埋め問題ならその人の答えはいわゆる正解である。
しかし他の人にとっては"地獄"という言葉に収まりきれない暑さかもしれないし、もしくは"地獄"というほどではないかもしれない。
感性は人それぞれなので、正解という枠はあってもその中に入る言葉の基準は無いようなもの。
だからさっきの例えは、厳密に言えば正解相応というのが正しいと私は考える。


そんな正解相応の例えというのは、さらに比喩で話を繋げられる。
例えば前述した内容から、
「そうだなあ、CoCo壱のカレーで例えたら7辛はあるよなあ」
と続けたら、あなたはどう答えるだろうか。

CoCo壱のカレーにおける辛さの基準が分かる人なら、人にもよるというのが一発で分かるはずだ。
「いや、今日みたいな夏日は滅多に無いから8辛と言ってもいいね。これは下手したら10辛もありうる。」
という人もいるだろうし、
「7辛以上は死人出るだろww せいぜい5辛じゃね?」
という人もいるだろう。
これは実際に食べてみないと分からない感覚でもあり、辛いのが苦手な人からしたら5辛ですら猛暑かもしれないのだ。

そして基準が分からない人には、まず何段階あるのか、そしてそれがどのような辛さなのかを問うだろう。
ちなみに10段階あるので、数字だけ見てもそれなりであることはお分かりいただけるかと思われる。
そんな感じでちょっとした例え話からCoCo壱のカレーを食べに行くというのも真夏の醍醐味ではないだろうか。


とまあこんな感じで、比喩表現には新しい視点を見出す可能性を秘めている。
お互い細かい点で微妙にずれてくる感覚を照らし合わせるだけでも、話題というのは結構広がるものなのだ。
正解は無いし、ちょっとぐらいズレていてもいいから、不正解にならない程度に使ってみると何か見えてくるかもしれない。
ちなみに私はCoCo壱に行ったことがないのであしからず。

一昨年の暮に書いてたらしい事

以下の文章を2009年の冬コミに頒布されたpixiv analyzeという同人誌に寄稿してました。
現心情と差異がある部分もあるので主張や状況が異なる場合がありますが、今現在と比べて変化がある場合は脚注をはさんであります。
とはいえ、おおまかなスタンスは変わってないです。まあ私ごとき変わったからどうなるわけでもないのだけれど。
いい機会なので置いておきますね。参考になれば。


  • @negは動かない -pixivユーザーとしての視点-

Twitterhttp://twitter.com/neg
pixiv:http://www.pixiv.net/member.php?id=45442


◆閲覧者としての私
定期的にpixivを開いているとすれば、お気に入りユーザーの新着イラストをチェックして大体終わる。あとはTwitterやブログなどで取り上げられたイラストを見たり、気まぐれでタグ検索をする程度だ。強いて他の点をあげるなら、開いてすぐ目に入るpixiv全体の新着イラストだろうか。時間帯によってはすぐに別のイラストが現れて流れていくため、一期一会でお気に入りに追加することも稀にある。お気に入りユーザーの基準としては、pixivを始める以前から注目していた絵師さん、その周辺の方々、Twitterでフォローしている方、他巷で話題に取り上げられたイラストだとか個人的な趣向に基づいて気が向くままに追加している。しばらくして、見ていて面白みや興味がなくなるなどすればお気に入りからはずしている。なお、マイピクには身内の友人を1人だけ承認していて今後追加する予定はないが、気が向いたら使うかもしれない程度には考えている。*1ここで少し思ったのが、pixivの一部システムは──当たり前なのかもしれないけど──従来のWebサービスに似ている。お気に入りユーザーは、気に入ったら追加して、気に入らなかったら解除する。これはTwitterTumblrのフォロー・リムーブに相当し、気兼ねなく設定できるという点で共通している。マイピクは、言わずもがなmixiのマイミクに相当し、承認制という仕切りを用意することでお気に入りユーザーとは区別している。マイピクを設定することで増える機能は、イラストの公開範囲制限くらいなので大したメリットは感じられない。主観ではあるが、公開範囲を限定しているということは内輪向け(大衆向けではない)という可能性もある。内輪が悪いとは言わないが、場合によっては作品としての価値観が変わってくるので閲覧に躊躇しかねない。「承認というステップを踏むだけ」という手間を経た分、何かを得られる保証があれば別だが、そもそもpixivへ投稿される作品にそんな保証はあっても野暮だと私は考えているので観測外だ。*2
pixivのあらゆる機能が全体的にどのように使われているかまでは把握してないので、一概にどの機能が必要・不必要なのかは1人の人間が決めることではないだろう。ひとまず、pixivで取り上げられやすい問題の1つであろうランキングについて書いておく。


◆ランキングシステム
数字に頼った指標は、よほど徹底されていない限り決まった末路を迎える。昨今のオリコンや、ニコニコ動画が分かりやすいだろうか。ランキングという題目で、あるステータスの数字が高い順にソートされていれば、上位にはそれなりの質と支持がある作品が並ぶ。ここでいう支持というのは、前述したあるステータスの数字に貢献するユーザーの数を指す。そのため、ユーザーの意向次第で質は如何様にも変化することができる。そこへニコニコ動画ないし同人界隈への普及とくれば、現状のpixivが"ネット上のコミケ"と言われるようになるのも無理はない。初期はジャンル偏向の無さを少しは謳っていたようだが、一部の大衆が介入してしまえばランキングの質はたちまちそのユーザーたちの好みに染まっていった。このように、ランキングシステムとは正当に評価されるべき作品が埋もれていく状況を生み出しやすい装置であり、昨今のオリコンニコニコ動画といったランキングシステムを備えている業界では質を問わず、ユーザーの好きなものだけが目に見えてくるようになっている。そんなこともあって、正当な評価云々ではなくステータスの数字が大きい順に並ぶだけのシステムだと思い始めたときから、私はランキングそのものに魅力を感じていない。そこには一界隈のユーザーたちが閲覧ないしブックマーク、点数をつけられたイラストが結果的に集約されるだけなので、よほどサムネイル画像でピンと来るもので無い限り興味を持つことは無いだろう。勿論、私だって良いものは良いと評価したいし、良い作品に正当な評価がなされたのであればそれはそれで良いと思う。だからといって、ランキング上位に浮上するようなイラストが必ずしも新鮮味や面白みなどを備えているとも限らない。大衆の趣味に合わせることに意義があれば別だが、私には今のところそれを見出せない。娯楽としてpixivを見ている人には「正当な評価なんて堅苦しいことをしていられない」などと思われるかもしれないが、それが一種の甘えであり、皆が皆そう思った結果がランキングなのである。私がランキングに何かを求めるとすれば、それはユーザーに何かを求めるのと同意義だと考える。そうでもしなければ、ランキングは現状から変化することはない。同じジャンル、同じキャラクター、同じ投稿者、同じ絵柄。それほどまでに同じ要素を、微妙に違う形で日々消費していたいのだろうか。*3
そもそも、ランキングシステムを仮に排除したところで出てくる影響とは何だろうか。好きな絵を、好きな絵師の作品を見たいのであれば、お気に入りユーザーやマイピクに登録すればいつでも見られるわけで、知名度なんてものはpixivじゃなくてもブログなどで十分拡がる。つまり、pixivにおける投稿者の知名度が、pixiv内部で完結できるのがランキングシステムなのだと私は考える。閲覧数・点数・ブックマーク数というステータスの数値が高いだけとはいえ、誰かにとっては良い作品なのだろうから、それをpixiv内でいち早く広めるにはpixiv内が一番手っ取り早い。もしその作品に欠陥があるとすれば、ユーザーらがそれを見落としている(あるいは見逃している)か、何らかの要素で補っていることが多いということだろう。詳しくは後述する。
反面、正当な評価が得られる作品が埋もれているとすれば、それはユーザーらが見落としているか、それこそ興味のない証拠である。「興味がない」という傾向ほど報われないものはなく、如何に斬新で巧みなイラストだとしても見てもらわないことには始まらない。今のところ、pixivにおいてはユーザーの数でそれを補う形で救われているので、ランキングでも稀に新発見へ繋がるものが浮上してくれるが、大半は興味の対象外という理由で閲覧機会ロスを引き起こしている。これを他の分野に時間を割けるという理由で得と考えるか、素敵な作品にめぐり合えないという理由で損と考えるかはユーザー次第だろうから、イラスト評価へ誘導するのも難しい。ランキングシステムが、これを解消してくれるのに一役買えるくらいジャンルのバランスが取れていれば最高なのだが、所詮は数字情報の塊だ。いずれにせよ、この数字に頼りきった指標を何とかするには、ユーザーたちを理解させる時間が必要になるだろう。

◆投稿者としての私
NNNという名前で投稿している。*4落書きが好きなので思いつきでいろいろやっているが、実践してみるといろいろ実感することができた。私の場合、描くジャンルがジャンルなので閲覧数が伸びない。今のところ、殆どの作品が2桁である。何を描いているかといえば、白黒の模様だとか、何かをイメージしたロゴだとか、要するに模様だ。それなりに意味を持たせているつもりだが、そもそもそれを見るに至る人が少ないので魅せることに関して深くは考えていない。ぐだぐだ続けながらもいくつか投稿していると、閲覧数が伸びる即ちユーザーを引き寄せる法則性が微かながら見えてきた。
まずはタグの設定。タグを検索しないユーザーはまずいないだろうから、いくつか設定しておくに越したことは無い。私の作品にも、だいたい3つ前後のタグを設定している。私の描くジャンルとして設定しているタグには"ロゴ"と"模様"が中心で、あとは内容にあわせて適当に付加している。ここで私が気がついたのが「塗ってもいいのよ」タグの威力だった。これは私が投稿したイラストの着色前を見ていたところ、なんとなくぬりえができるな、と思ったので付加してみたところ、なんと2名の方にブックマークしていただけた。そしてその方々のプロフィールや作品を見てみると、見事に2人とも「塗ってみた」作品をたまに投稿している方だった。もしかしたら塗ってもらえる日が来るのかもしれないので、淡い期待を抱きつつ見守り続けていようと思う。ちなみに元の絵は色彩感覚が酷かったためにサムネの時点でしょぼくなってしまい、閲覧数もそのぬりえに抜かされてしまった。といっても、その差は10人にも満たないので別段気にしていない。
誰もが分かっていると思うが、閲覧に至らせるには興味・関心を惹かせなければいけない。そこでまず、タイトルとサムネが入り口となる。ユーザーはまず、サムネイル画像を見てスルーするか否かを(無意識にでも)決める。ここで目に留まれば、次はタイトルを見て判断をする。逆もありうるだろう。キャプションとタグについては、検索の段階で既に区別されているようなものなので、判定があるとすればその時だ。以上2,3個のステップを踏まえて、興味・関心を惹かせることができれば閲覧に至る。1つ1つ説明しているだけなので当然のことなのだが、この閲覧に至る作品とそうならない作品の違いを、誰得ジャンルを投稿し続けている私は見つけた。

◆同時投稿の盲点
私の作品を例にあげると「神通理気」と「犯罪オリンピック現象」の2つがそれを表してくれる。

前者を最初に作り、後者はそのあとの思いつきで加工を加えたものだ。このロゴイメージは、清涼院流水著のJDCシリーズと呼ばれる小説に登場する九十九十九【つくもじゅうく】というキャラクターをイメージしたもので、ロゴとタイトルもそれにあわせたものだ。個人的には前者を作り上げるのに時間を要したこともあるので前者を見て欲しかったのだが、現実は閲覧数・点数ともに後者へ持っていかれた。どうしてこうなった。
※いずれも2009年12月1日時点のもの
しばらくしてからその原因が分かった。1つは、ほぼ同じ内容を同時に投稿したこと。これによって、似たようなイラストであれば片方のイラストを見ることで満足する人が多かったのだと思う。この現象は、投稿数の多いタグを巡回していればしているほど誰もが無意識のうちにやっている行為であり、ましてや双子作品といってもいいような作品を投稿してしまったがために、片方が差分的な存在となってしまい、その片方が見逃されてしまうのは必然と言っても不思議ではない。もう1つは、タイトルのキャッチーさ。「神通理気」というタイトルは、元ネタが元ネタということもあり、あまりにもピンとくる人が少ないため、明らかに前衛的な「犯罪オリンピック現象」というタイトルに惹かれるのはごく自然だろう。また、イラストの内容もそれに合わせて少し意味ありげな加工がされているので相乗効果が生まれている。以上の2点から、後者のイラストに閲覧が集中する結果となってしまったのだろう。
このことから学んだのは、タイトルおよびサムネイルには意味ありげなほうが他の作品を差し置きながら惹かせやすいということ。如何なるジャンルにおいても、サムネはもちろんだが、タイトルも1つの判断基準として役割をしっかり担っている。サムネのイメージとタイトルのイメージをうまくかみ合わせることで、より作品として見られる価値が上がると言ってもいい。ロゴイメージというのも、本来は意味を含みながらそれらを如何に表現するかが大事なので、前者を推進したいと思っていた私はその大切さを改めて認識することとなったのだった。
私の趣味はさておき、閲覧数というステータスが存在するおかげで、ニッチなジャンルでも閲覧者のpixivの見方というのが見えてくる。もしもユーザーらがタイトルとサムネを基準に閲覧しているとすれば、そこで閲覧の機会を逃しているイラストの投稿者は見てもらえなくて悶々とするかもしれない。といっても、長く続けていれば閲覧数などに振り回されているユーザーはそれほど居ないだろう。タイトルとサムネで左右されてしまう状況が生まれるとすれば、ランキングに浮上する類の一部界隈うけするようなジャンルを投稿したことで、普段投稿している作品にない数値の伸びを与えられてギャップを感じたという意見を見たことがあるので、それくらいだろうか。

◆作品以外の作品
ここで思い出したのだが、貴方は「読む音楽」という書評をご存知だろうか。これは同人音楽の分野などで活躍しているDJ TECHNORCH【ディージェーテクノウチ】という人が出したもので、"東方アレンジ・初音ミクからJ-COREまで"同人界隈のクリエイターたちが筆を取った数少ない同人音楽評論本だ。

読む音楽 完全版

読む音楽 完全版

この本に出てくる単語には"音楽以外の音楽"という概念がある。「音楽は音楽それ自体だけを楽しまなくて良い、音楽の楽しみ方は音楽を聴くことだけではない、もっとヴィジュアル・パッケージ・文字・歴史・評論等の音楽以外の音楽を積極的に取り入れ、より全面的に音楽を楽しもう!」(読む音楽 P.5より引用)という著者の考えを元に生まれたもので、その概念は音楽に限らずあらゆるジャンルにも適用可能であるとも書かれている。それを思い出して私はpixivにおけるタイトル、サムネ、キャプション、タグの機能を「作品以外の作品」として捉えることができるのではないかと考えた。タイトルとサムネで気を惹く部分は、本やCDで例えれば表紙・ジャケットそのものに置き換えられる。キャプションは紹介文だとかライナーノーツを髣髴させ、タグに至っては投稿者含めユーザーが各自で好きなように設定し、遊ぶことができる。これらの状況を楽しむことができるのはpixivかニコニコ動画ぐらいであり、これらの"作品以外の作品"を含めてその作品を盛り上げることができる。作品に本質を求めようとすればそれらはかえって邪魔になる場合もあるが、作品が注目される可能性が増えるという意味では非常に効果的なのだ。pixivの場合、本質的なものは本質的なものでタグ機能が大活躍する傾向が強いので、ジャンルによっては凄いものでも埋もれてしまう、という現象に陥ることは少なそうだ。
しかしそう考えると、ランキングシステムもそういう意味では"作品以外の作品"で形成されているのかもしれない。ランキングに載る条件を満たすようなイラストというのは、時として理解しがたいものがある。そういうのは得てして元ネタありきなのだが、加えてキャプションとタグが大変なことになっているケースが結構ある。ランキングに載る作品が、何かと比べて大したものではなかったり誰かの趣味ばかりになるのは、ユーザーたちの趣向だけではなくユーザーたちが盛り上がるための"作品以外の作品"にあるのではないだろうか。つまり、キャプションやタグのやりとりも1つの"作品"となり、作品以外の作品を経て初めて作品が評価される風潮が、pixivを盛り上げる1つの要素として確立しているということだ。反面、作品以外の作品で評価が完結してしまうと、作品そのものは客寄せパンダの如くおまけみたいなものになってしまい、本質が見落とされやすくなる。作品以外の作品で完結できてしまうような作品、というのは想像し難いかもしれないが、例えば東方のキャラクターをそれっぽく描いておいてキャプションを一工夫しておけば、そのイラストの伝言板が盛り上がりつつタグが勝手に増えていき、あとはご想像に任せたとおりだ。*5そこで完結する盛り上がり方をする作品が、今のランキング上位にはたくさんあるような気がする。一種のコミュニケーションありきというやつなのかもしれない。本質となる作品の核が客寄せでは、本末転倒もいいところだ。作品以外の作品に楽しい側面があることは否定しないが、たまには作品そのものを思い出してあげてください。

◆訃報における衝動
私が投稿者として最もひっかかったのはこれだ。pixivに楽しい側面があるなら、悲しい側面はどうだろう。個人的な理由でこの手の話題には年々疑問を持っていて、その度に少しずつ考えさせられている。
2009年は忌野清志郎加藤和彦マイケル・ジャクソンなど音楽業界だけにとどまらず、あらゆる分野において大物たちが没する凄まじい1年だった。有名人に限らず人の死というのはいずれ訪れるものであり、今後もその衝撃を受け続けなければならないことを考えれば序の口なのかもしれないが、自ら命を絶つ者も多かったために困惑させられた面も大きい。
音楽業界においては、訃報を契機に普段聴いてなかったCDを棚から引っ張り出してくる人や追悼を理由にアーティストの作品を購入するという現象がしばしば見受けられる。双方に共通するのは、普段からそのアーティストの作品には触れていないということ、人によっては大した思い入れもないということだ。とはいえ、常日頃からアーティストのことばかり考えていては生活できたものではなく、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。また、マイケル・ジャクソンほどにもなると、スリラーなんかは誰もが何処かで聞いたことがある、またはそんな気がすると言わしめるほどの知名度なので、そういうところから入るという人も日本中を探せばいるに違いない。話を戻すと、どれだけ何かを成し遂げた人間だろうと、どれだけ何かが評価された人間だろうと、訃報でもなければ興味を持たれない・知られる事がないという人が必ず出てくる。不謹慎かもしれないが、追悼と称してCDが売り出される現状とその理由を考えれば不思議ではない。販売そのものについても、レコード会社側の礼儀みたいなものだろうから、よっぽど目に付くようなものでなければ許容範囲だと思うし、そのあたりは良くも悪くもバランスが大事なのかもしれない。
現代社会において、人の死というのは何が何でも周りの人とお金が動く。特にアーティストというのは、私たちに様々な感動を与えてくれる存在なので、その存在がこの世から消え去るという事実は一大事に他ならない。故に、アーティストが亡くなった時に、そのアーティストの作品を見始めたり聴き始める衝動というのは、偽善というよりも本能的に求めている何かだと私は考える。何かを失われた感覚に陥った場合に、それを反射的に補う衝動。それがいわば、追悼の意というものなのかもしれない。それでは、ここで問題になってくるのは何か。それは追悼の意を持ってアーティストを評価する人、特に"普段からアーティストに関心を寄せていない人"が、アーティストという存在に対してどのように考えているかということだ。
ここでいよいよpixivに戻ろう。訃報というキーワードで既に予感している方が殆どだと思われる。2009年のpixivにおいて顕著だったのはそう、臼井儀人の訃報である。それはマイページに表示されるランキングの上位が、クレヨンしんちゃんと作中の臼井儀人本人のイラストで埋め尽くされた時期があったほど。クレヨンしんちゃんはアニメ・漫画ともに長年に渡って支持されてきた作品なだけに、その作者が不慮の事故で無くなったという事実は、確かに衝撃的だった。そしてその当時において、その衝動が一番目に見えて現れてたのがpixivではないだろうか。私が記憶しているものでは、感情的に描いていたイラストには泣いている野原しんのすけや、紳士を貫く野原ひろしの喪服姿、原作のユーモアを忠実に取り入れた作品ではぶりぶりざえもんに説教を食らう臼井先生、他には劇場版の台詞から引用し臼井先生は家族同然のように扱ってる発言をするなど、クレしんにあわせた数々の思いが交錯した。大変申し訳ないが、クレしんに強い思い入れが無かった私から見たそれは、音楽業界のそれと全く同じだったと言っていい。勿論、皆が皆、臼井先生に捧げるイラストを投稿することで追悼の意思表示を行うことは決して悪いことではないと思うし、先ほども述べたとおり反射的な衝動で描き投稿した人も多いだろう。それに、私のような関心の薄い人が下手に同情をしても失礼なだけだ。なお、各々の投稿者がどこまでが勢いでどこまでが本気だったかは問わない。全ての投稿者が心の底から、ただの便乗ではなく真面目に描いた作品であることを信じておこう。
それよりも、アーティストに対して思い入れがないと思わされるのはやはりランキングシステム(とそれに貢献したユーザーの皆さん)だろう。人の死に対する反動を描いた作品がランキングの上位に入るという事象は、確かに予定調和なのかもしれないが非常に違和感を感じる。これでは流行のそれと何ら変わらないではないか。追悼の意を表したイラストの気持ちを評して点数を入れるという行為は、それはそれでよく分かる。だが、訃報でみんなの気持ちが1つになった感のある1位というのは、果たして良いことなのだろうか。私が指標に踊らされているだけなのかもしれないし、昨今のランキングシステムとしては一体感が違うだろうからわりと良い傾向なのかもしれない。何より私が気になるのは、点数を入れたユーザーの人に追悼の意があるのかどうかだ。"普段からアーティストに関心を寄せていない人"の行動原理がそこにあると私は考える。散々書き散らしたとおり、人の死という衝撃に対する反動とは突発的な衝動に駆られやすい。アーティストに対してどれほど関心があろうとなかろうと、適当に悔やむだけなら誰でもできるし、誰に対してもできる。点数も適当につけるだけなら誰でもできるし、誰に対してもできる。投稿者の立場となればそうはいかない、手を抜いたら抜いた分だけスルーされるからだ。故に追悼の意を表す作品はそれなりに信用しているが、ランキング上位に浮上したイラストの点数に貢献した一部の皆さんは信用できない。追悼するならもっと誠意を持って真剣にやれ、ということではなく、軽々しい追悼は慎んでもらいたい、ということを言いたかったのだが、誰に対してかと尋ねられると、不特定多数のpixivユーザーに対して、ということになってしまう。見えない敵と戦っているあたり、私は数字に踊らされただけなのかもしれない。

◆閲覧数の意義
かくいう私も、冥福を祈る旨をこめた作品が1つだけある。それは「imoutoid」という作品だ。

imoutoid【イモウトイド】とは、簡単に説明すれば音楽家のたまごだった人で、まさにこれからだというところ、18歳という若さでこの世を去った。彼の音楽作品は非常に完成度の高いものが多く、今でも彼の作品を聴き続けている人たちは多い。Twitterで彼の正式な訃報が流れたときに、私が"反射的な衝動"を起こし即席で作り上げたのがこの作品である。実はこの作品、私がpixivに投稿した作品の中で最も閲覧されていて、最も点数をいただき、最もブックマークしていただいた作品だったのだ。(2009年時点でのデータです)これは私自身がTwitterで情報をPostしたことと、imoutoid氏の追悼関連の記事などをまとめていたブログで密かにリスト入りしていたことがその結果へと導いた。この結果を受けて私は、閲覧してくれた方には無論、評価してくれた事にも素直に感謝した反面、複雑な心境となった。何故か。それは、人の死の影響力をもって数字が増えたという事実を、閲覧数という形で目の当たりにしたからだ。
もしも、追悼と称して投稿された作品が、見てもらいたいがために、見てもらったという確証(閲覧数という数値ステータス)を得たいがために投稿されていたら、その作品は追悼の意として見られるべきなのだろうか。という、疑心暗鬼的な発想から良からぬ可能性を察知したのだ。これが私の投稿者として最もひっかかった点であり、私のランキングシステム不信に繋がっていく1つとなったのだが、そこから先はもはや検証できる領域ではない。数字に頼りっぱなしの指標、ランキングシステムによく現れる界隈がそのような可能性を認めているのだとすれば、いよいよもってモラルの問題になってくる。特にランキングでよく見かける投稿者の方々には申し訳ないが、貴方はこれらを手放しで喜べる状況だろうか。どのような答えでも別にかまわないが、たまには作品のあり方を考えてみるのも悪くないと思う。数字ばかりを気にしていたら本質を見失うが、本質ばかり見ていたら数字なんてついてこない。現代社会が生み出している悪循環がこんなところでも発現するのは、日本人志向のシステムのせいだろうか、はたまたその日本人である私たちのせいなのだろうか。人は何かと日常を送るのが精一杯で、他の事に関しては指標に頼ってしまいがちで本質を問う余裕が少なすぎる。ある意味では仕方の無いことかもしれないが、考え方次第では少しはどうにかできる部分もあるはずだ。pixivに限らず、あらゆるジャンルにおいて数え切れないほどの作品が存在しているにもかかわらず、それらをただの娯楽の一角というだけで終わらせるのが如何にもったいないことか。何にしても、閲覧数が全てではないのはROMな皆さんの方がよーく分かっていると思うだろうから、投稿者の皆さんにはもっと作品の本質を大事にしていただきたい。と、自戒も兼ねて書いておく。

◆戯言の総括
お絵かきは、それ自体が楽しいだろうし、交流も含めて楽しくなる。ただし、ランキングは数字が全てである。向上心を促進するのか阻害するのか、ピンキリを平等に扱うのは極めて難しいことだ。私の極論で言えばランキングは本気で不要だと思うのだが、それに頼らないとついていけない人にとっては必要だろうから、これからも搭載され続けるだろう。そういえばランキングのメリットとして、上位に来るほどクオリティが高い作品であれば仕事のオファーに繋がるという話を読んだことがあるが、内容を考えるとコミケと何ら変わらない状況は皮肉かも分からない。大衆受けする技術ばかりを存続させることだけでは、正当に評価されるべき高等な技術などがいずれ廃れる。堅苦しくやれとは言わないが、ぬるま湯につかり続けるのは体に毒だということを知って欲しいだけだ。
今のところ私がpixivに何かを望むとすれば、著作権に関する問題がクリアされてないようなので、ひとまずはそこからでしょうか。機能についてはランキングシステム以外に不満はない(あるとすればユーザー側の問題)ので、とりあえず運営方針などが良い方向に進むことを期待しています。*6

ここからは余談。私は田舎で仕事をしながら*7細々と暮らしている人間なので、本当は偉そうなことが言える立場ではない。そんな田舎者でも、インターネットのおかげで色んな交流が出来る今の時代に感謝しつつ、興味のある分野のあらゆる可能性を模索している。そんな私の投稿は落書きだと言ったが、ロゴ作りに関しては真面目にやっているので何か適当なロゴが欲しいという方は私に御一報いただけると喜んで引き受けると思います。

長々と読んでくれてありがとう。
願わくば、全てのユーザーが多くの分野に興味を持ってpixivに臨めますように。



参考資料/pixiv、Wikipedia、読む音楽(DJ TECHNORCH)

*1:受けたリクエストは断る理由もなかったので承認してます。

*2:Twitterにおける鍵機能と例えられてスッキリしたことがあるのでこの意見は無視して構いませんが、マイピクにしてまで追っかける気力が無いのは依然として変わらないので観測外には変わりません。

*3:同じ〜のくだりはあんまり人のこと言えてない、要は他ユーザーと協調してまで共有することが大事なのかどうかを言いたかった。

*4:Nなんとかさんが多いので現在はNEGでやってます。

*5:日本語でおkという方向けに翻訳すると、例えば霊夢巫女みこナースのコスプレをさせた絵を描いたとする。そしてキャプションにそれっぽい事を書けば誰かが反応してくれてあとは勝手にタグが追加されるに違いないだろう、という事。ブコメみたいな部分でも「これはひどい」とかやる人いるよね、そういう感じ。

*6:カオスラウンジェ…

*7:現在はなんとかやってます。

言いたい事だけ言って結局何もしていない私が言うのは説得力が無いけど何も書かないよりはマシかなと思って今のうちにpxivについてただなんとなく思った事を吐き出しておく。
建前長いので後半だけ読んでも問題無いかもしれません。


いつだってこの手の炎上騒ぎというのはシステム自体に罪はない。
SNSが叩かれる理由の大前提は利用者か運営のほぼ二択であって、システムそのものがこぞって叩かれる事なんてまず無い。
というのは、「これだから某SNSは…」みたいなニュースの半分以上は利用者がアレだったりとか運営がアレだったりするのがほとんどだからだ。
仮にシステムに非があったとしてもそれはすぐに運営へと矛先が変わるから叩く意味が無い─それに実際叩くと虚しいし…─。
いつもどこかの界隈で埋め尽くされるようなランキングシステムだって利用者次第でどうにでもなる話だし、少し使い勝手の悪いシステムがあるとしても運営がすぐ対応すればいいわけで、ものによってはちょうどいい人だっているかもしれない。
いわゆる「仕様です」みたいなシステムについては賛否あるだろうけどここでは追求しない。


そのシステムを使うのが嫌ならばやめればいい。
食べ物が残った時にわざわざ使いづらいラップを選んで使う必要はないのだ。
無論、それしかなくて選ばざるを得ない状況なら仕方ないが、SNSサービスはそうではない。
他にも同じようなものはあるし、現にこれまでも利用されている。
ただ全てのサービスを使うよりは、だいたい1つ2つに絞った方が色々とやりやすいのだ。
例えば、音楽業界でいうところのオリコンがそれ以外のランキングサービスを差し置いて利用されているのは、それだけ利用されていて共有しやすいからに他ならない。
はたしてpixivは使いづらい(共有しづらい)だろうか?そうではないはずだ。
ただ今回の問題は運営側の姿勢と特定の利用者にそれぞれブレがあるという事だ。
それ以外に攻めるようなところは今のところ無いと思うが、それが利用を止める理由になるぐらいなら皆とっくの昔にpixivから離れていないだろうか。
要はそれだけ今回の問題があまりにも脅威に見えて、人によってはお祭り騒ぎをきっかけにした反射行動なのかもしれないけど。


オリコンのシステムだって糞だと言う人はいるだろうけど、かといって止めようにも止められない人がいるのは何故かと言えば、何だかんだ言って皆参考にするからなのである。
ここでいう参考というのは資料的に共有する意味もあるけど"話題の音楽"という水準が提示される事でコミュニケーションを発生させるきっかけにもなりうるのだ。
pixivだってそういう使われ方をされてなかったかな?むしろ人によってはランキングなんてかざりだし、好きなものを探すならオリコンじゃなくてもTSUTAYAとかAmazonとか即売会とかこの際近所のコンビニでも何でもいいんだよ。興味があるなら探せばいい、そして手に取るなり見てみればいいわけで、この際Google先生に頼れば今時だいたいの情報はヒットするんだよ。本当に言いたい事だけ並べてるだけになってきたからそろそろリセットするよ。




SNSを利用する意義の優先順位としてはまず真っ先に交流である。
交流の手助けにシステムがあって、システムによってはきっかけとなるアイテムがあり、例えばmixiならコミュニティやアプリ、GREEならゲームなどにあたる。
そのアイテムがpixivの場合イラストであり、いくつものルールが設けられていて、今回の件によってそれが機能していないものと判断され、黒い話も出てきたとなれば、交流そのものにも支障をきたし兼ねない、じゃあ皆で他に移ろう、という流れなんだと思っているけど、この考え方で合ってるかな。
知ってる人は前々から知ってたはずで、綺麗なところだけ見ていたから天国なのかもしれないし、汚いところを見たから地獄なのかもしれないけど、どちらにしたってそのシステムは便利だと思うし、改善余地はシステムを使う人たちと管理する人たちにも必ずある。
今回はそれがもうどうしようもないと判断された結果だと思っているので「居心地が悪すぎる」という理由でやめるのは自然な判断だろう。
ましてやこの状況で"プロを目指そう!"な企画ができる運営側もタフなのかヤケなのか、とりあえず企画ものの本質が黒くない事を祈りたいが、ここ最近のアクションを見る限りはたして一連の流れを鎮火させる予定はあるのだろうか…


使っているSNSの何が好きで何が嫌か、何処が良くて何処が悪いか、どの辺が便利でどの辺が不便だったか、そこでどんな人と─直接的ではないブクマなど些細な行為も含めて─どんな交流ができるか、そこにどのような本質(目的ないし結果)があるのか。
そこらへんを考えてから使い方を改めてみると、いわゆる移民先でも楽しい交流ができるのではないかな。
ROMだから関係ないって言う人には、結局どうでもいいかもしれないけどね。
その分色々と見極めてくれれば良いと思う。
役に立てとは言わないけど、せめて何らかの糧になってるといいね。

作品を観た直後の素朴な感想ははたして純粋なのか

バッドエンドなのかトゥルーエンドなのかどうかなんてのは問題ではなくて、どれくらい物語に魅了されているかが批評する側における課題なのではないだろうか。
細かい点を指摘する余地を奪われてしまうほど心を揺さぶるような作品は、しかしながらそういった作品だからこそ評価されているものが多いようでもある。
完成度は高いに越したことはないものの、作品の本質は見る人によって異なるだろうから一概に何がどうあるべきなどとは言えない。


とりあえずまどかマギカについては、なんだかんだ言ってみんな悲劇が好きなのかな、という結論に達して終わっている。
春アニメが終わりそうなこの時期に書くことではないような気がしないでもない。