魔法少女のまどかによるマギカのための独り言

大抵の物語において時間を巻き戻すという行為は、巻き戻す以前の記憶を維持している事を前提としている。
記憶を引き継いでいるから事象を予期できるわけだし、行動を選択する事ができる。
引き継いだ記憶を育んだ世界は、宇宙はどこにいってしまうのか?
消滅するのか、上書きされるのか、別の時間軸として存在しているのか。
因果性を追求するのは野暮なのだけれど、この手の作品では何かと並行世界が採用される。


インキュベーターという存在がある世界において鹿目まどかが最後に出した答えは、暁美ほむらをはじめとする魔法少女たちの夢と希望を報われる形にすることだった。
神の領域に達して本当に何でも叶えられるというステータスを持ちあわせた上で彼女なりに導き出した願い。
死んでしまった魔法少女たちを蘇らせるわけでもなく、インキュベーターをなかったことにするわけでもなく、アルティメットロールルーラーになって世界同時多発ラッキーを起こすわけでもなく、ただただ魔法少女たちの絶望という結末に対する救済を選んだ。
その時間軸の彼女が体験した1ヶ月を振り返れば、彼女なりに全力で選んだ結果だったのだろう。


例えば、世界中が幸せになるためにはそれだけ他の何かを犠牲にしなければならなくなってくる。
人類の規模に対して全てを幸福に維持するためには、あまりにもコストがでかすぎる。
場合によっては生死概念に大きな影響を与えかねないため、結果として人類という生態系への影響は必至と考えられる。
ちなみに某世界同時多発ラッキーは一過性であることに意味があるので決してそれ自体をディスっているわけではない。


話が逸れているが、本来魔女のいない世界にするという願いはインキュベーターに歓迎されない。
通常魔法少女契約時における奇跡のキャパシティに釣り合わないだろうし、何より魔法少女という奇跡⇔魔女のサイクルが働かなくなる。
かといって、インキュベーターがいない世界になった場合、第11話におけるキュゥべえの仮説から生態系に影響が出てしまうかもしれない。
宇宙規模で生態系をいじってしまう事になりかねないのでいずれにしても保障されたものではない。


それが進化につながるか、滅亡につながるかはここでは置いておこう。
まどか本人はそこまで考えてなかっただろうけど、あらゆる絶望に繋がる可能性を考慮した結果が円環の理だったのではないか。
因果律の収束によって可能になった世界の書き換えは、並行世界をも救済する。
記憶の数だけ並行世界がある可能性を指していて、それだけの魔法少女たちが絶望に落ちていったとすれば、たかだか数人の(魔法)少女を特別扱いするわけにはいかない。
ならばとまどかは魔女の源となる少女たち総てを報うべく、膨大な力をその願いに込めた。
誰が為のエンディングルートか、答えは願いの内容にある。


元からなかったことにするというのは、運命の書き換えではなく存在の消去を意味する。
希望に再変換することはできないからといって無に帰すのは、その存在に関わる誰かにとっての悲劇に繋がる。
そしてその記憶が何かしらへ引き継がれてしまえば、後々呪いを生むことにもなりかねない。
それでは穢れの形が変わるだけで本末転倒なのである。


魔法少女を無に帰さず、夢と希望のために絶望という結末から逃れるためには、魔女にならなければいい。
さやかだけなんて言わない、魔女になってしまう全ての少女たちの穢れを引き受ける。
その答えを概念と化する前のまどかが導き出せたのは、ほむらの想いが伝わったからだろうか。


ほむらは時間軸を移動した回数だけ時間経験と記憶が引き継がれている。
まどかは時間軸を移動された回数だけ魔法少女としての素質、因果律というステータスが引き継がれていった。
なぜ因果律がまどかだけに集約されたのかについては諸説見かけるので追求はしない。
少なくともほむらは、記憶を更新しながらたしかに存在し続けていた。
第1話でまどかの夢に出てくるくらいだから、彼女たちの世界は上書きされているのかもしれない。
でも概念になったまどかが他の時間軸を認識した事を考えると、やっぱり並行して存在しているものなのかな。


「誰かの役に立てるようになりたい」というまどかの夢は、ほむらの抱き続けてきた希望によって叶えられた。
鹿目まどか暁美ほむらに選ばれし少女であり、暁美ほむら鹿目まどかに選ばれし少女となった。


魔法少女のまどかは、まどかの魔法(マギカ)によって、夢と希望を守り続ける。
ああ、だから「魔法少女まどか☆マギカ」なのか、と。
うまくまとまってないけれど、観終わってすぐに思っていた事を他の意見を読んでぶれないうちに。




そういえば「魔法少女リリカルなのは」のリリカルという部分にも少なからず意味はあるんでしょうか。
思えば前々からよく熱いと言われているアニメらしいですし、リリカルなのかもしれませんね。

んー

とりあえずこのブログを開くと真っ先に1月の記事が出てきたり、ブラウザを更新してもカレンダーに反映されなかったりするのは仕様だったりするんだろうか。
月単位でずらすと治るところを見ると調べれば直せるレベルの問題のような気がするけど面倒なのでこのまま戯言を以てグダグダと。

高梨修輔の本棚について


右から順に


■夕映え作戦(夕ばえ作戦
1974年、光瀬龍SF小説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E3%81%B0%E3%81%88%E4%BD%9C%E6%88%A6


幕末未来人
1977年、眉村卓原作のSFテレビドラマ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E4%BA%BA


■チュー公の赤毛
特に元ネタは無さそう。
チュー公というキーワードからトッポジージョかなと思ったけど金毛だった。


海底軍艦
1900年、押川春浪の小説。青空文庫でも読める。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%BA%95%E8%BB%8D%E8%89%A6
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person77.html#sakuhin_list_1


■WOMAN'S BODY
特に元ネタは無さそう。
まあ、主人公高梨君の性格を考えると資料的なそれはおいてあっても不思議じゃないのかも。


■虚無への供物
1964年、中井英夫の小説。三大奇書の1つ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%84%A1%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BE%9B%E7%89%A9


■大奈の鉄人
特徴的な元ネタは無さそうだけど"史 大奈"という中国の唐の軍人なるものだけ確認
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E5%A4%A7%E5%A5%88


亜細亜の曙
1932年、山中峯太郎の小説。軍事探偵ものらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B3%AF%E5%A4%AA%E9%83%8E


家畜人ヤプー
1956年、沼正三の小説。
日本全国のマゾヒストたちがこぞって反応するほどのあれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%95%9C%E4%BA%BA%E3%83%A4%E3%83%97%E3%83%BC


■カッタ君物語
1995年、日本アニメ映画。おちんこの舞台との関連性は不明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%BF%E5%90%9B%E7%89%A9%E8%AA%9E
D


■敵中横断三百里
1957年、山中峯太郎の小説。軍オタなのだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%8F%B2_%E6%95%B5%E4%B8%AD%E6%A8%AA%E6%96%AD%E4%B8%89%E7%99%BE%E9%87%8C


■KAGEROU
2010年、水嶋ヒロの小説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/KAGEROU


■やぶにらみの暴君
1952年のアニメ映画作品。王と鳥の名でも知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%A8%E9%B3%A5


ドグラマグラ
1935年、夢野久作の小説。三大奇書の1つ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%A9


シモ・ヘイヘの射撃
書籍などの元ネタは特に無さそう。
シモ・ヘイヘ自体は実在した狙撃手。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98


■松坂弘 戦記
松坂弘は実在する歌人ではあるものの決して軍人ではない。
Amazon.co.jp:松坂弘歌集 (現代短歌文庫)
リンク先がAmazonなのはWikipediaがなかっただけなんだからね。



■TVアニメ50年
特に元ネタは無さそう。
こうやって見ると資料的な感じで揃えている印象が強い。



統一性が無いところからこれらは真摯に読むため入手し、棚に納められたものと推測される。小説作品と思われるものもSF・ミステリ・ミリタリーなどとジャンルもまちまちで本に対するこだわりは無さそう。KAGEROUがあるぐらいだし。第8話のやりとりから修輔くんは元々そんなに勉強できない人ではないそうなので、それなりに自分の興味を見出しては手を出していたに違いない。他の棚を調べたらマンガなりラノベなりあるのかもしれないけれど、修輔の意外な側面を象徴するファクターとしてはこれだけでも十分かもしれない。


文学寄りな少年の本棚っていうのは案外こういうものなのかもしれない。
果たして彼はどこで道を外してしまったのだろう。

昨年末に書いた日記を読んで

別に法律を厳守しろと言ってるわけじゃないんだけれど、二次創作などはそれなりの覚悟を以て臨んで欲しいなとは思っています。
危害の有無に関わらずルール違反は取り締まられる可能性があるわけで、言い換えればルールの範囲内であれば自由なのだから。


ルールは守るためにあるとか破るためにあるとか言うけど結局のところは人数に関係なく各々都合が良くなったり悪くなったりするのを調整するきっかけにすぎないんだよね。


守ればある程度の平等が保証される。
破ればある程度の代償を要求される。
どちらもお互いのステータスが上下する事には変わりない。


例えば、荒波に乗る覚悟があるなら、自ら荒波をたててもいいと私は思う。
ただ、その荒波がどれくらいの人を巻き込むかにもよるし、人がいなくたって荒波を起こすこと自体が危険だとすれば誰かに押さえられたりすることもあるだろうし、本当に1人だけの空間で浴槽とか水場の中を暴れる分には全然構わないと思うし、いずれにしても起こった事故に対しては責任を持つべきだと思うし、怪我をしたら自分で何とかするしかない。


結果的に大勢のステータスが上がるというのであればルールを破るのも悪くないと思うけれど、何事もリスクは考えておくに越したことはない。
一旦ステータスを下げるような事柄こそリターンが求められるからね。


まあ、そんなに深い意味はないよ。