同人における二次創作について

幾度も行われてきたであろう議論に対して自分なりに結論を出したところで役に立つのだろうか。


同人という創作概念は、何も二次創作が全てではない。
トレースかパロディかオマージュかオリジナルかといった問題もここでは論外だ。
超大雑把に言えば、ただ単に発表の場として即売会等に限定されているだけにすぎない。
なぜ限定しているのかと言えば、まずは流通コストを低減するためというのが大きい。
出版社などを通すとお金がかかるだけではなく表現に制約を受ける場合もある。
ビジネスの世界では経営資源確保のために"売る"という条件が最低限必須なのでやむを得まい。
制約を乗り越える…いや、制約を受けずに創作を行うのであれば企業を通さない方が早い。
だからこそ即売会といったイベントで作品を公開した方がやりやすいし、その人の作品が好きな人にも行き渡りやすくなる。
ちなみに企業を通さない方がいいのかと言われれば全く別問題で、企業を通す事で出来ることだってたくさんある。
それこそ幾つもの制約を乗り越える事で、はじめて面白い作品を生み出す事だって無い話ではないのだ。
ひとまず、ここでは同人という形で作品を公開する行為について考えてみよう。


表現したいものを好きなように表現し"頒布する"のが同人だと私は考える。
同人において表現できるものとは、ピンからキリまで、紙から神まで全てを受け入れる事をいう。
故に上限も下限もなく、一切の制約を気にせずに創作行為を行える土壌である。
まさに表現のためにあると言うと大げさかもしれないが、現状お金が動く場所にはかわりない。


"頒布する"という行為は"売る"と大差がないように思えるが、何が違うかと言うと金銭感覚が異なる。
前者は文字通り、売る事が大事──無論、決して作品そのものを蔑ろにするという意味ではない──になってくるので金銭を得るという前提を置いている。
後者は、はてなキーワードによると"不特定に対して配るときに使る"との事なので、金銭を得るかどうかは明示せず、作品を発表するという前提を置いている。
要は、優先順位が利益と表現のどちらに向くかの違いだけである。


利益というものが何のためにあるのかというのは、先ほど述べた通り経営または活動資源確保のためである。
会社も人間も、現代社会を生きて行くためには、否が応でもお金が必要になってしまう。
創作という行為も、時としてお金が必要になる事だってあるだろう。
同人とはいわば、限られた手持ちのアイテムで限界まで挑む行為でもある。
工夫次第では次に進むためのアイテムを手に入れる事もできるし、糧を得ることだってできる。
"頒布する"という行為が"売る"と大差がなくなってくる瞬間があるのは、このあたりに一攫千金を見出す人がいるからだ。
別に利益を得ることが悪だとは言わないし、むしろ現代社会においては自然な行為に思える。
それに表現を重視する側としても、より活発な創作を行うためなら利益はあるに越したことはない。
そして同人という媒体において、利益が得やすい構造というのもまた存在する。
同人におけるグレーゾーンは、ここが最大の論点になっている。


ここで二次創作について触れよう。
商業作品などで初出の一次創作物を元にして新たに作られた作品が二次創作物である。
同人と言われている物の大半のイメージは、商業作品を元に作られた二次創作物に該当すると思われる。
二次創作は、既存の作品を元に作ることで自分なりの解釈や妄想を表現する行為である。
それが知名度のある作品であれば、手に取る人も必然的に増える。
そこでよく指摘されるのが著作権に関する問題だが、その辺の話は何度も結論が為されている。


商業作品側としては、著作権保護のために許可無き二次創作を禁止できる親告罪がある。
(※断片的にしか法律を知らないので何か間違っていたらご指摘ください)
それは利益云々に限らず、会社や作品のイメージにも繋がるため社会的には禁止するに越したことはない。
それが全てに行われていない、いわゆる黙認という状態が多く見られる気がするのは、商業側の中の人によるだろう。
とは言うものの、実際どのような理由で黙認されているのかは憶測の域を出ない。
会社の意向を、ただ流れてきた情報だけで断定してはいけないと言われる所以はそこにある。
故に、それらの理由を盾にして「俺達は企業に貢献してるんだぜ」アピールは甚だしい限りなのである。
企業に許可も無く二次創作を行い"頒布する"行為を、少なくとも貢献とは言えない。
"頒布する"という行為はあくまで表現を重視したにすぎず、1円でも利益を得ている場合は法的に"売る"という行為と同等だからだ。
同人誌ではどのようになっているか分からないが、同人音楽においてはJASRACに申請した上でアレンジCDを出しているサークルも増えているので、清く正しく貢献したいのであれば版権処理はしっかり行っておくべきだ。
それが少なくとも現代社会のrrrルゥールなのである。


どれだけ愛情があろうと、リスペクトであろうと、著作権を無視して作ればそれは著作権侵害なのである。
モチベーション云々だとか話題性云々だとかコミュニティ云々だとかも、法には一切関係ない。
語弊があるかもしれないが、黙認されているからやっていいのではなく、ルール違反でも危害が少ないから黙認なのである。
農家から盗んだ野菜で美味い料理を作って農家を懐柔させるようなものだ。
どんなに美味い料理でも、材料は盗んだものである事に変わりはない。
創作物は減る物じゃないと思うかもしれないが、商業作品は"売る"ための商売道具でもある以上、その道具を勝手に借りて利益を得る行為はルール違反なのである。
だからこそ許可は得ておくべきであり、それが黙認される時だってあるのだ。
度が過ぎれば黙認で済まなくなるのは、何ら不思議ではないのだから。


法的なものに関しては感情に訴えても仕方がない。
そのあたりでどれだけ版権元に抗議メールを送ろうと、大人の事情なのだからどうしようもない。
法律という面倒なものを乗り越えるには、商業側も苦労しているという事だけ忘れないで欲しい。
それでも納得できないという人は是非、己の手で現代社会のrrrルゥールを変えてやって欲しい。